自分にとってフェデリコフェリーニ以上の映画監督はいない、その存在は映画そのものであり、その他の映画は最終的にはフェリーニの映像にひざまづくことになる。
神ではない、「映画」なのだ、海辺にうちあげられた海魚、船の奥底に眠るメスのサイ、映画の都の象、ザンパノ、吹雪、霧、その時のCCの美しさやベルベットアンダーグラウンドのニコ、トレビの泉、、、
ニーノロータが死んだその日、映画は死にはじめたのだし、マルチェロやジュリエッタがフェリーニがこの世にいないことが、そしてテレビの台頭、それはファシズムなのだし、これ以上なにを求める必要があるのだろう?
どのみち、映画はaddioを告げなくてはならなかった。自己完結するために、完全であるために、そして、

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